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メールセミナー全8回

安くてイイ家づくりの秘密

1,000万円台で満足行く家を建てる
ために必要な情報を全8回でお伝えします。
  • 第1回なぜ似た家が・・・
  • 第2回会社選びのポイント
  • 第3回安いよ安いよのワナ
  • 第4回資金計画のワナ(その1)
  • 第5回資金計画のワナ(その2)
  • 第6回200万円が消える話
  • 第7回建築業者が仕掛けるワナ
  • 第8回幸せになる人不幸になる人

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〒960−0684 福島県伊達郡保原町字万所26

社長からのメッセージ/カノウヤ夢工房の社長ってどんな人?

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家作りの想い

家族旅行での一枚
私達は、お客様の 夢の家づくりの味方になります。私の心からの誓いです。
(株)カノウヤ住宅事業部 夢工房 代表樋口 静克
モットー/「お客様という友人を作り続けることです」住宅をお引渡しした後も、友人の一人としてお付き合いさせて頂くことです。

家づくりの思い

皆さんこんにちは。(株)カノウヤ住宅事業部“夢工房”の代表をしています樋口静克(きよかつ)と申します。
福島県県北地域の地元では、ご存知の方も多いのですが、 私の会社は、祖父の代から60年以上続いている瓦屋です。

老舗の瓦屋が何で家を作る仕事をするんだ? とお思いの方も、多いんじゃないでしょうか?あなた様は、いかがですか?
本題に入る前に、私の話にちょっとだけ付き合ってください。

祖父の代からの瓦屋と書きましたが、農家と兼業でやっていました。 蚕(養蚕業)もやっていましたので、家の作りは、
農家づくりの大きな家でした。 土壁で天井が低く土間があるつくりで、蚕をやるには、適した家でしたが
決して、快適に住める家ではありませんでした。 もちろん私専用の勉強部屋などありません。

小学校の低学年の時は、母が、廊下の端をカーテンで仕切って、 そこに古い机を置いてくれて、勉強部屋にしていました。
柱と土壁の間に、外が見えるほどの隙間がありました。
吹雪の夜などは、雪が吹き込んで、目が覚めると布団の上にうっすら雪が積もっていた事も、 何度かありました。

また、お風呂とトイレ(と言うよりは便所と表現した方がぴったり)は、家の外にありました。 お風呂は一般的に言われる
“五右衛門風呂!”でした。 文字通り、私と弟が鉄釜に入り、母が下から蒔きや古材を燃やして、お湯を沸かす、
もっとも、古い形態のお風呂です。
もちろん、鉄釜を直接火で熱するので、風呂の底には、敷板を敷いています。 この板が木製の為にうまく体重を掛けないと、
お湯の中から浮いてしまい、 足が、風呂釜の底についてしまい、やけどをしそうになったことも、何度かありました。

また、風呂釜の下から火を炊く為に風呂小屋内部は煙で充満して、母や私たち兄弟はみんなゴホンゴホンと 目から涙を出しながら、
お風呂に入っていました。 特に冬は大変でした。 雪の降る夜には、母が、裸の私たち兄弟をおぶってくれて、
お風呂場と家を行き来してくれました。 その時の母の背中の温かさは、今でも覚えています。

その頃から、 母を楽にしてあげたい。 家族みんなが暖かく楽しく生活が出来る家を建てあげたい。
家を建てる仕事がしてみたい・・・ と思っていました。

地元の高校を卒業して、埼玉県川越市にある東洋大学の工学部建築学科に入りました。
マージャン・パチンコは全然興味がわかなかったのですが、 学業の傍ら、オートバイツーリングにはまって、時間があれば、
あっちこっちを放浪していました。 なんとか留年もせずに、4年で大学を卒業出来、地元のゼネコンで8年間現場監督として、
残業時間が100時間オーバーの生活の傍ら、土木と建築の知識を身につける事が出来ました。
その間に、建築士、建築施工管理技士、土木施工管理技士の資格を取得しました。

30歳が目前に迫ったある日、父から“そろそろ戻ってきて、家の仕事を手伝ってくれないか?” との声がかかりました。
根が素直だったので、言われるままに、実家に入り、 まだ家業であった、瓦屋をまじめに務めていました。
その時期に5歳下の現在の妻と見合いをして、結婚しました。
バブルはとっくにはじけてはいましたが、社員さんも増え、順調に業績は伸びていました。

そして、ある時、転機が訪れました。
ある取引先の建設会社の後継者さんに、瓦の良さをPRしているときの事です。
“樋口さん、もちろん瓦が良い事は、私たちもよく分かっていますよ。 でも、トタンとかコロニアルで取り合えず、
家を安く建てておけば、 10年後、また、塗装工事とかのリフォームでまた、儲けられるじゃないですか・・・“

その言葉を聞いたときに、家を作っている人は、 必ずしも施主さんの事を思って、家を建てている人ばかりでは無いんだ、
と気がついたのです。 それであれば、下請け・元請けなど、気にしないで、
自分がお施主さんの為に家を作ることも出来るのではないかと、考え始めました。

しかし、屋根工事の仕事は、工務店、大工さん、ハウスメーカーからの下請けの仕事です。
自分が直接家を建てる仕事をすれば、今までのお取引先のからの仕事が来なくなる事は目に見えています。
20数人の社員職人さんを路頭に迷わせる事は出来ない・・・。
しばらく、悩みましたが、「今しか始める時期は無い!」と思い、全国の8,500社の工務店で組織されている、
安くていい家を作る会に加盟し、新世代木造住宅供給工務店の認証をもらい、
本格的に業務を開始したのが、6年前の平成17年の3月でした。

家づくりには、いろんな形があると思います。
坪単価26万8千円!と有名タレントを使ってテレビコマーシャルを流して、
集まってきた人に最終的にはこんなもんですよと言って 坪40万円で家を売る方法。
住宅一棟800万円!とチラシを撒いて、見込み客の方を集め、逆に金額の高い住宅を売る方法。
総合住宅展示場にウルトラマンや仮面ライダーを呼んでそれを見に来た人に、夜討ち朝駆けの営業をかけ、
根負けしたところで契約を取る方法。

家を建てようと思って住宅会社の営業マンと打ち合わせをしてみて、初めてそのからくりが分かった方も
多いのではないでしょうか?
そのからくりが分かって、「本当に安くて良い家なんか出来るはずなんて無いんじゃないか」、
とお思いの方も多いのではないでしょうか?

本体価格を安く見せて、オプション、追加金額で利益を取る方法。 カーテン、照明の入っていない、住宅の価格。
家を建てるために必要な仮設足場、現場管理費、諸経費をあえて入れていない、住宅の価格。
それだけではありません。なんと、地盤の状況によって基礎の作りが変わってくるからと、
基礎の価格も住宅本体価格から抜いている会社があることも、事実なんですね。

こんな事があたり前の事として、まかり通っている業界が、私は異常だと思います。
私たちは、非常識な価格で高品質な住宅を建てる仕組みを取り入れました。
始まったばかりの私の会社でも、安くていい家を作る会に加盟して
8,500社の住宅会社と連係を組む事が出来た事で可能になったのです。

本当に安くて価値のある住宅を手に入れたいとお思いでしたら、 マスコミとプロがうなる私たちの家をご覧になってください。

どうしてこんなに良い家が、こんなに安く出来るのか?
そこで家を作っている人は、本当にあなたの幸せの家づくりを考えてくれる人なのか?
その会社で建てた人は、本当に満足しているのか? 厳しくあなたの目でお確かめ下さい。

家づくりで失敗しないためには、3社の現場見学会に参加されることが大切と言われています。
私たちが作っている家を他の会社と比較してみてください。
あなた様が計画している家のプランを私のところで、見積もってみて下さい。
そして、実際に私のところで建てられたお客様の生の声を聞いてみて下さい。

カノウヤ住宅事業部“夢工房”のお客様は、高品質の住宅を本当のお値打ち価格で手に入れられ、
幸せな家族生活をすでに送られています。 是非一度私たちの見学会にご参加下さい。
私のところに問い合わせをしてみてください。 (私「樋口」の携帯番号090-2026-3567です)
今までの常識が変わって、あなた様の家づくりの夢が大きく膨らむ事でしょう。

皆様の家づくりの夢が成功される事を、心からお祈りしています。

(株)カノウヤ住宅事業部 夢工房 樋口 静克

社長の履歴書

モットー/「お客様と言う友人を作り続ける事です」住宅をお引き渡しした後も、友人の一人としてお付き合いさせていただく事です。

昭和37年6月4日生

  • 福島県伊達郡(現伊達市)保原町に生まれる。
  • 保原幼稚園、上保原小学校を経て保原中学校、
    保原高校普通科へ
  • 高一の時からテニスに打ち込み、毎日部活に明け暮れる。
  • どういうわけか鉄砲に興味を持ち、モデルガンをいじりまわす。
中学生時代テニス部の仲間と

昭和56年4月 18歳

  • 東洋大学工学部建築科に推薦で入学する。
  • 体育会で軟式テニス部に入るが、その年スクーター
    (ロードパル50cc)に初めて乗ったことで
    バイクにはまり、一年で退部
  • ヤマハの400CCのバイク(XJ400D)を購入し、
    全国ツーリングに走り回る。
  • バイクに乗って硬派を気取っていたためか、
    楽しいキャンパスライフはどこ行った?
大学生時代 ヤマハXJ4000Dで全国ツーリングへ

昭和60年4月  22歳

  • 大学を卒業後Uターンで地元のゼネコン(佐藤工業)に入社
  • 新入社員は現場で覚えろといわれ、毎日ヘルメットをかぶり、
    長靴をはき現場をかけずり回る。
  • どういうわけか厳しい上司にあたり、毎日怒られ続ける。
    他の人の2倍教えるからと言われ、3倍怒られていた。
  • その間、要領が良かったのか?カンが良かったのか?
    各種の資格を取得
    (建築士、建築施工管理技士、土木施工管理技士、その他多数)
  • 現場監督である為、朝早く、夜遅く、土日なしで最高の残業時間が143時間だった事も・・
  • 日曜の朝、空いた道を通勤する際に、スキーを積んだ
    カップルの車とすれ違う時は、ちょっと複雑な心境
佐藤工業時代現場にて
  • 日曜の朝、空いた道を通勤する際に、スキーを積んだカップルの車とすれ違う時は、ちょっと複雑な心境
  • 道路公団(現ネクスコ)発注の現場担当だった為に、大きな現場を担当する。
  • 担当した現場が地図に残る仕事って良いかも・・・と仕事のやりがいを感じ始める。
  • 仕事に慣れたころ、大きなミスをする。
  • 上司・同僚の方の温かい友情に感謝。
  • 現場代理人を何現場か担当し、責任の重さを感じる。
佐藤工業時代現場にて、仕事のやりがいを感じ始める

平成3年11月  29歳

  • 7年半務めたゼネコンを退職し、実家であるカノウヤ(当時有限会社)に入社
  • 職人さんたちと現場に出て屋根瓦を葺く。
  • 雨の日に屋根に上がっていたら滑って落ちた事も・・・(幸いケガは無し)
  • やはりスタイルはヘルメットに地下足袋。

平成4年 8月 30歳

  • 30歳になった夏、保育士をしていた現妻とお見合い。
  • 2週間(!)で結婚を決断。
保育士をしていた妻とお見合い

平成5年 1月 31歳

  • 結婚披露宴 300人以上の方から祝福を受ける
  • ゼネコン在職時代取得していた建築士の資格を生かし、設計事務所である「設計室Art工房」 を開設。
  • 現場の合間に新規開拓の営業にまわる。
  • 大工さん・工務店・ハウスメーカー・ゼネコンに多くのお客様を拡大。
  • 社員さん24人の地元ではトップクラスの屋根工事店に成長。
  • 社員さんの業界資格取得を推進。
  • 自身でも、難関の瓦ぶき一級技能士を、二級を飛び越し一発で取得。
  • 大規模屋根や新工法の現場も多くこなす。
難関の瓦ぶき一級技能士を二級を飛び越し取得 難関の瓦ぶき一級技能士を一発で取得

平成8年2月   34歳

  • 長男 静也誕生
  • 結婚後3年目での誕生に嬉しさも倍増。

平成9年11月  35歳

  • 二男 巧也 誕生
  • あっという間に二人の父親に

平成12年10月  38歳

  • 同期入社で家族ぐるみの付き合いをしていた友人をクモ膜下出血で亡くす。
    奥さんがクルマをまわしに駐車場に向かった時に発症。
    約2週間後に奥さん、長男と双子の姉妹を残し、帰らぬ人に。バイクと鉄砲が共通の趣味である貴重な友人だった。
    命のはかなさと人生の可能性の大切さを感じる。
  • その後積極的に新規事業に進出。

平成13年      39歳

  • 大手太陽光発電メーカー(京セラ)の薦めで、太陽光発電事業に取り組む。
  • 当時は3KWシステムで300万円以上!
  • 一般向けのお客様獲得に、チラシ新聞折り込み作戦を開始。
太陽光発電事業に取り組む

平成15年 4月   40歳

  • 大手リフォーム会社から担当者をヘッドハンティングし、リフォーム事業部を設立。
  • その後使い込みしていた事が発覚し解雇。

平成16年 1月   41歳

  • 建設コンサルティング会社(ナック)の住宅商品開発システム、グランピアシステムを導入。
  • 8,500社の工務店と共に良い家をお値打ちの予算で建てる活動(安くていい家を作る会)に参加する。

平成17年 3月   42歳

  • 念願の住宅事業部の本格始動。
  • 第一回完成見学会開催。会場は、押すな押すなの大混雑。
第一回完成見学会開催おかげさまで大盛況

平成19年      45歳

  • 太陽光発電を営業マンなしで売った経験をもとにコンサルティング事業部を開設。
  • 太陽光発電について、質の高い提案、質の高い施工、質の高いアフターフォローを目的に、
    エコルーフ研究会を主宰する。趣旨に賛同して活動している会社が23社になる。

平成22年  8月  48歳

  • その後大手コンサルティング会社(ナック)と共同講演会を全国で開催。
第一回完成見学会開催おかげさまで大盛況

平成22年  12月

  • 不動産事業部の設立
  • 土地と家づくりが一緒に出来る環境を整えるため。
  • 自身でも宅地建物取引主任者
  • 現在に至る

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